2007年05月17日

ウミガメ保護 高齢化で危機(紀伊民報)

5月8日の紀伊民報より、ウミガメ保護のためにボランティア活動をしてきた方々が高齢化し、保護活動が危機に瀕しているという記事です。

 紀南のウミガメ保護活動が、活動家の高齢化で危機にひんしている。新宮、みなべ、串本の活動団体の中心メンバーは70、80代で、産卵期の早朝や深夜に浜を巡回するのは体力的に厳しくなっている。「新宮市ウミガメを保護する会」では、速水政夫会長(81)夫妻が活動をやめ、このままでは会が自然消滅するという。
 速水会長と妻の福枝さん(77)は1975年に、保護活動を開始。賛同者が増え、89年には「保護する会」が発足した。
 王子ケ浜でアカウミガメが産卵する5〜9月の毎日、夜明け前から延長約3・5キロの浜を見回り、上陸数や産卵数を記録、卵を浜中央のふ化場に移してきた。園児を招いて放流会を開き、自然や命の大切さを教え、浜の清掃を通じて環境保護にも力を入れた。会員は約50人いるが会費を納めるだけの人がほとんどで、実質的には速水会長夫妻2人がこれらの活動を担ってきた。
 しかし、速水会長は80歳を迎えた昨年6月、体力の限界を感じて「世界遺産となった浜の環境保護にもつながる。市でボランティアを募り、後継者を探してほしい」と新宮市長に陳情、昨シーズンを最後に活動を断念した。1年たった今も後継者は見つかっていない。
 新宮市の隣にある三重県紀宝町は毎年、ボランティアを募り「ウミガメ保護監視員」を組織、6月から9月にかけて6人体制で活動している。
 速水会長は「活動時間の問題もあり、会員に無理は言えなかった。新宮市も紀宝町のような組織づくりを進め、ウミガメを守る活動の火を消さないでほしい」と話す。
 本州有数の産卵地「千里の浜」があるみなべ町では、元小学校教諭でみなべウミガメ研究班の後藤清代表(78)が1985年ごろから保護活動の中心を担ってきた。
 退職後の88年から5月〜10月中旬にかけ浜を巡回、上陸、産卵、ふ化の数を調べてきた。ピークの6月〜8月末は毎日、午後8時半ごろから深夜未明まで浜を往復している。
 90年から京都大学、2002年から京大に代わって日本ウミガメ協議会(大阪府枚方市)が巡回活動に参加。後藤代表が帰った後の深夜から明け方にかけ、協議会メンバーが滞在し、浜を回っている。この活動に、町が補助金を出している。

 後藤代表はこれまで数人に声を掛けたが、後継者は見つからなかった。「町と協議会の支援でどうにかやってきたが、夜間の活動が厳しく地元で核となるボランティアが育たない。対策を考えないと紀南の保護活動の見通しは暗い」と嘆く。
 23年間活動を続けてきた串本町の「串本海亀を守る会」(中尾勇会長)は、中心メンバーが5〜6人いるものの、70、80代と高齢化が進む。
 5月中旬〜9月下旬の巡回は早朝の午前4時から。足腰が弱くなり、薄暗がりの中、足場の悪い海岸で転ぶメンバーも出てきた。中尾会長(81)も杖をついて回るが、腰をかがめて砂浜を調べるのが苦しく、活動を終えた後、半日は横になって過ごす。
 会費を納める大阪方面の会員もいるが、新宮と同様に巡回活動を担う地元メンバーが増えない。
 中尾会長は「串本の海がラムサール条約に登録され、環境への関心は高まっているが、現実は厳しい。このままでは数年内にも活動が絶えかねない」と話している。


 会員は50人いても、実質的に活動できるのがたった2人というのは本当に危機的状況だと思います。

 そもそも、ウミガメが住める環境を奪ってきたのは、人間の経済活動だと思います。であるならば、ボランティアに頼るだけではなく、国や自治体が、保護のためにもっと力を入れてしかるべきではないでしょうか。

 とくに地域としては、観光資源にもなりうるものであり、小中学校の教材としても有用だと思います。串本町はボランティア活動に補助金を出しているようですが、観光や学校教育と結びつけることで、もっと大きな効果をあげることはできるのではないでしょうか。県や国レベルでの取り組みも必要だと思います。「美しい国」を標榜するなら、特に、環境問題への取り組みは重要でしょう。



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2007年03月17日

動物園から象が消える?=愛護派、「残酷」と主張−米(時事通信)

3月14日の時事通信のニュースです。

米ロサンゼルス動物園は13日までに、長年飼育してきたアフリカ象「ルビー」を引退させ、カリフォルニア州北部にある広大な動物保護区に移送する計画を発表した。米国でも象は動物園の人気者だが、動物愛護団体が「狭い動物園での象飼育は残酷」と批判を強めており、各地の動物園から象の姿が相次いで消えている。
 ルビーは46歳のメスで、健康状態は良好。数カ月以内に非営利の動物愛護団体が運営する動物保護区に運ばれる。丘や湖が広がる保護区は、総面積2300エーカーと東京ドーム約200個分の広さ。ロス動物園は、繁殖の必要性が高いアジア象の飼育は続けるという。 


これはとても難しい問題で、考えさせられる問題ですね。
確かに動物にとって、自然が一番、狭い檻に入れて飼育するのはかわいそうという意見もあるでしょう。
しかしその一方で、人間が動物を実際に見て知り、動物の愛らしさや命の大切さを知ることができるのも、動物園のおかげです。
動物にとっても、厳しい自然に生きるよりも、たとえ狭くても安定的に面倒を見てもらえる動物園の方が幸せという考え方もあるかもしれません。

そして、これは単に動物園だけじゃなく、ペットを飼うことの是非ということにもつながってくる問題です。

動物自身が自分で意見を言えない以上、答えの出ない問題だと思います。

でも動物自身が声を出せないからこそ、人間が、動物の立場を考えながら議論していくことは、大事なことだと思います。
もっともっといろんな議論がされることが必要ではないでしょうか。

ゾウに関するオススメ図書:
1991年の湾岸戦争中、カメラを食べた動物園のゾウがいた。えさをもらえず、お腹がすいたからだけ? その夜、壊れたカメラにひとすじの月の光がさしこみ…。本当にあった話をもとにした創作絵本。
『カメラを食べたゾウ―もうひとつのかわいそうなゾウの物語』(文:鎌田俊三 絵:大石容子)

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2007年03月14日

愛犬に人工呼吸 一命救う(スポーツ報知)

3月12日のスポーツ報知より、アメリカ人の男性が、溺れて死に掛けた自分の愛犬を、人工呼吸で蘇生させたというニュースです。

 米国・ネブラスカ州の男性がこのほど、おぼれた愛犬を人工呼吸でよみがえらせた。元空軍のランディー・ガーチンさん(51)は、ブルドッグのルーシー(雌10歳、23キロ)が、アヒルを追って自宅近くの凍りかけた湖に飛び込むのを目撃。助けようと、氷の上に足を踏み出した。

 「氷が割れ始めていた。すぐに彼女を抱き上げたよ」とガーチンさん。ルーシーは血の気を失い泡を吹いていたため「もう死んでしまったと思った」が、軍隊での経験を生かして応急処置を開始した。

 ルーシーの口を手でふさぎ、鼻に自分の口を付けて息を吹き込んで胸を押した。すると息を吹き返したと言う。

 ガーチンさんは戦争でイラクやアフガニスタンの空を飛んでいたが、2005年に背中の負傷で引退。つえをついて歩く生活だった。妻のケリーさんは「今回の“救出任務”を遂行するまでは、一度だって犬を愛してるなんて言ってなかったのに」と、喜びを隠せなかった。


こちらに、飼い主ガーチンさんと愛犬ルーシーの写真が出ています。

恥ずかしながら、私は人間に対する人工呼吸もまともにできるか怪しい状態なんですが、ちょっと考え直さないといけないと思いました。

こちらこちらに、犬の人口呼吸方法が出ています。犬を飼われている方は、ぜひ参考にしてみてください。
また下記の書籍でも、犬の応急処置が詳しく説明されているようです。
川口國雄『愛犬のお医者さん 健康管理・病気発見・応急処置完全マニュアル』(実業之日本社)



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2007年03月13日

<動物園>客が“眺められる側”体験 長野・須坂市(毎日新聞)

3月11日の毎日新聞から。

 長野県の須坂市動物園で今月から、「ヒト」の展示が始まった。昨年までニホンザルを飼育していた獣舎に入り、客が「ヒト」という動物として、眺められる側の立場を体験できる。お隣には人気者のアカカンガルーのファミリーが住んでおり、獣舎の外には見物客がずらり。「ヒト」も負けじと、家族にカメラを向けられていた。


かつては、世界各国で、「文明人」の手によって「野蛮人」「未開人」が展示に供されていたことがありました。それは社会進化論という考え方を背景に、「野蛮人」「未開人」を動物に近い人間として貶めると同時に、自分たち「文明人」が、動物とははるかに隔たった高等な存在であるとの自負を背景に、成立していた図式でありました。

それに比べると、この「ヒト」の展示は少し意味が違います。少し前にもオーストラリアの動物で「ヒト」の展示が行われたというニュースがありましたが、上に書いたような「野蛮人」「未開人」(とされたもの)の展示とは逆に、このように「文明人」(?)が自らを進んで動物になぞらえるような状況は、動物と人間との境界が、いろいろな意味で、再び近いものになっていきていることを暗示しているようにも思えます。

動物の権利という考え方、ペットをコンパニオンアニマルと見なすような倫理観において、動物が人間に近づきつつあります。またこれとは全く逆の意味、すなわち遺伝子操作などの技術の向上によって、人間が動物同様に操作可能な対象になりつつあります。さらに近年、成熟社会における消費者の行動様式が「動物化」といわれることもあります(ただしそこにおける「動物化」といわれる傾向が、本当に現実の「動物」の存在様式と一致しているかは疑問ですが)。

動物園としてはそんなに深い意味もなくやってみたのでしょうけれども、人間と動物との距離観という意味では、いろいろ考えさせられるものがあります。

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2007年03月09日

クマ:里まで下りないで…被害防止へ山に“実のなる木” 池田町が植樹へ(毎日新聞)

3月7日の毎日新聞のニュースです。岐阜県池田町にて、熊が人里まで降りてくるのを防ごうと、山に「実のなる木」を植えようというプロジェクトがスタートするようです。

◇池田山にナラ・クヌギを植樹へ
 池田町は6日、食べ物を求めて山から里へ下りてくるクマ被害を防ぐため、実のなる木を町内の池田山(標高923メートル)に植える「池田山広葉樹新植事業」を新年度からスタートさせると発表した。10年ほどの事業期間で植林する予定で、初年度は120本を植える。事業費58万6000円を新年度予算案に盛り込んだ。
 池田山では昨年10月末から11月にかけて、ふもとに下りてきたクマ3頭が駆除(射殺)された。町民がけがをする被害はなかったが、柿が少し食べられた。池田山では、山頂付近でカシの木など広葉樹の立ち枯れが目立っており、クマの出没はその影響もあるのではないかと見ている。植林は水源確保にもつながることから事業を決定。新年度は5月ごろ、山頂の生活環境保全林に高さ1・2メートルほどのナラやクヌギの苗木をボランティアの協力で植える。


昨年秋から、熊の出没が各地で多く見られ、捕殺数も例年になく多くなり、絶滅すら危惧される状況になっています。絶滅を回避する方法としては、生け捕りにして人間に対する恐怖感を植え付けた上で遠隔地に放つ、「学習放獣」という方法がありますが、それだけでは不十分です。熊には人里に下りてこざるをえない要因があるわけで、その最大の原因が山中での食糧の不足という問題と推測されています。
戦後、日本各地で、広葉樹林が伐採され、杉・檜等の針葉樹林いわゆる人工林が拡大造林されてきました。これは人間にも花粉症という副産物をもたらしましたが、熊にとっても、山の食糧の減少という結果がもたらされました。その上今年は気候的な影響もあって特に山中の食糧が枯渇しており、秋からクマが人里に大量出没する事態になってしまいました。さらに現在は暖冬で冬眠から早く覚めてしまった熊が各地で出没する状況になっています。

過去のエントリにも書きましたが、安易に射殺・捕殺するのではなく、何とか人間と住み分けながら共生できるよう、熊の居場所を確保してもらいたいと思います。今回はある一地域の話ですが、全国レベルでのこうした対策が必要なのではないでしょうか。

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2007年03月06日

イノシシを供養、「猪魂碑」建立−猟友会の有志4人(香川新聞)

3月6日の香川新聞から、イノシシ駆除を行っている猟友会の方々が、供養のための碑石を建てたというニュースです。

 「有害獣でも、殺傷すれば心が痛む」。香川県東かがわ市五名の山間に地元猟友会所属の有志が、これまでに仕留めたイノシシを供養するため建立していた「猪魂碑」がこのほど完成。「亥(い)年の亥の日」の六日にお披露目された。

 畑の斜面を整地した約三十平方メートルの用地には、縦約六十センチ、横約九十センチの御影石製の碑を設置。右横に約一トンほどもある火山岩のご神体(高さ約一・一メートル、幅約一メートル)を建立した。式には約十人が参列、厳かな神事でイノシシを供養した。

 建立したのは猟友会東讃支部に所属する木村薫さん(五六)ら四人。木村さんらは三、四年前から農作物を食い荒らすイノシシの本格駆除を行っており、最近販売を始めた加工品や精肉の評判を聞きつけて、訪れる人が増えている。



同じ命を持つ動物。その動物の生命を奪うことに対して「かわいそう」という気持ちを持ち、罪の意識を感じること、これは動物と人間との関係を良くするために必要な、最も基本的な気持ちだと思います。

「有害」というのは、あくまで人間中心の考え方。イノシシにしてみれば、自らの命を奪う人間こそが「有害」でしょう。

しかしながら、地域で生活している人にとっては、そうとばかりは言ってられない状況があるのも事実です。

そんな狭間で苦しんでいる、猟友会の方々の苦悩がわかるようなニュースでした。


関連書籍:福井栄一『イノシシは転ばない- 「猪突猛進」の文化史』(技報堂出版)


【目次】
第1章 文字で書くイノシシ/第2章 十二支獣としてのイノシシ/第3章 生き物としてのイノシシ/第4章 喰われるイノシシ/第5章 狩られるイノシシ/第6章 妖異としてのイノシシ/第7章 神威・仏威の顕現としてのイノシシ/第8章 海の向こうで物語られるイノシシ/第9章 絵や像になったイノシシ/第10章 有名人とイノシシ/終章 イノシシと人間

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2007年03月03日

ビーバー、ニューヨーク市で200年ぶり生息確認(読売新聞)

2月25日の読売新聞のニュースです。

 【ニューヨーク=大塚隆一】ニューヨーク市でビーバーの生息が約200年ぶりに確認された。

 23日付のニューヨーク・タイムズ紙などによると、市旗や市章にも描かれているビーバーが戻ってきたのは同市北部のブロンクス川。2〜3歳のオスと見られ、木や泥を使って幅約3.7メートルの巣を作っている。専門家は上流地域での生息数が増えたこと、ブロンクス川の浄化が進んだことなどが原因とみている。

 ビーバーはかつて北米に大量に生息し、その毛皮の貿易はオランダ植民地時代のニューヨークの主要産業だった。しかし、18世紀に乱獲で激減し、19世紀初頭から姿を消していた。


日本でも、昔は都市に生息していたのに、今は見られなくなってしまった生き物が沢山います。考えてみれば、動物が生息できないほど汚い場所に、人間が住んでいるってことですよね。

これまで、人間は沢山の動物の住処を奪ってきました。
これからは、それを可能な限り元に戻していく必要があると思います。

もっともっと、生物がもどってくるような環境になるといいですね。


話は変わりますが、ビーバーといえば、木村和男『カヌーとビーヴァーの帝国』(山川出版社)という面白い本があります。カナダの歴史を、毛皮交易ビーヴァーの毛皮交易と、河川交通の主役だったカヌーとから語った本です。
17世紀ごろ、「ビーヴァー・ハット」という帽子がヨーロッパの有産階級の間で大人気だったそうで、富や権力の象徴として、給料の数ヶ月分を費やしてでも求めたものであったらしいのですが、カナダはそのビーバーの毛皮の産地として発展したのだそうです。
きっと昔は、アメリカ大陸には本当に沢山のビーバーがいたのでしょうね。

この本についての詳しくお知りになりたい方は下記の画像をクリックしてみてください。
木村和男『カヌーとビーヴァーの帝国』(山川出版社)

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2007年02月23日

ありがとうルーシー・盲導犬と築いた絆:第1部・出会いと別れ/2(毎日新聞)

2月21日の毎日新聞山形版に、連載記事「ありがとうルーシー・盲導犬と築いた絆」が掲載されています。
冒頭では、盲導犬育成の歴史が叙述されていて興味深いです。

 ◆誕生
 ◇一番目立たなかった
 犬が視覚障害者を誘導するようになった歴史は、意外に古い。
 最古の史料として残っているのは、紀元79年に火山噴火で壊滅した古代ローマの都市国家・ポンペイ(イタリア)の壁画だ。犬に導かれて市場を歩く男性の様子が描かれている。6世紀にはフランスの宣教師が白い小型犬を連れて布教活動をしたという記録もある。第一次大戦中のドイツでは、戦争によって視力をなくした軍人のために、盲導犬育成学校が設立され、本格的な犬の訓練が始まった。
 日本では1938年にアメリカ人青年が盲導犬と一緒に来日したのが最初。翌年には4頭が輸入され、傷痍(い)軍人が使用した。4頭の死後は一時途絶えたが、アイメイト協会創設者の塩屋賢一氏が復活させ、57年に国産第1号の盲導犬が誕生した。今では九つの盲導犬育成施設が育てた952頭(05年3月末現在、日本盲人社会福祉施設協議会調べ)が活躍している。
 盲導犬は訓練センターに入るまでに、いろんな人の手を経る。盲導犬としての資質を備えた親となる犬(繁殖犬)を預かり、交配や出産の世話をする「繁殖犬ボランティア」(ブリーディングウオーカー)、1歳になるまで一緒に家庭内で生活する子犬育成ボランティア「パピーウオーカー」……。その都度、愛情が注がれ、人間社会のルールを覚えていく。米沢市の今野善一さんを支えてきたルーシーも例外ではなかった。
 富士五湖の一つ、山中湖を有し、早くから避暑地として開けていた山梨県の東南部にある山中湖村。ルーシーは95年10月、ここに住む老夫婦が飼っていた家庭犬(ペット犬)の間に生まれた。父はベン、母はルーシーといい、いずれもイギリス系のショードッグとして活躍できる血統の良いラブラドルレトリバーだった。日本盲導犬協会神奈川訓練センター所長だった朴善子さん(43)=現NPO法人・日本補助犬協会副理事長=が、知人を通して依頼を受け、イギリスから輸入した。朴さんによると、「産まれた子犬はセンターに寄付する約束だった」という。
 盲導犬は血統が第一といわれる。通常は繁殖犬を各訓練センターが選んで交配するのだが、これは優れた盲導犬を育成するためだ。ルーシーのように家庭犬から生まれた犬は珍しいが、当時はまだ繁殖数が少なかったので、家庭犬の子犬を購入したり、寄付を受けることも多かったらしい。
 出産の連絡を受けた朴さんは、老夫婦の自宅に行った。子犬は雄3頭、雌3頭の計6頭。みんな丸々と太った可愛い子犬たちだった。朴さんが呼ぶと近づいたり、犬同士で無邪気にたわむれた。朴さんはその中で最も目立たなかった雌の子犬に目をつけた。「この犬なら大丈夫だ」。ルーシーが盲導犬に向けて第一歩を踏み出した瞬間だった。=つづく


目立たない犬に目をつけた、とありますが、やはりおとなしい犬が、盲導犬には適しているのでしょうか。
大変な訓練を一生懸命こなし、人の手助けをする犬。本当に立派です。
続きが早く読みたいです。

現在入手できる盲導犬関連の書籍一覧


関連図書:沢田俊子『盲導犬不合格物語』(学習研究社)

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2007年02月22日

ありがとうルーシー・盲導犬と築いた絆/1(毎日新聞)

2月20日の毎日新聞山形版にて、「ありがとうルーシー・盲導犬と築いた絆」という記事が掲載されています。連載記事の第一回「引退」という題で、盲導犬と視覚障害者との別れの話でした。
長い間一緒に歩いてきた犬と人のお互いにとって、その別れはつらいものです。

 ◆引退
 ◇「定年」の時期迎える
 「もう何も言えない」。米沢市下新田で鍼灸(しんきゅう)院を営む視覚障害者、今野善一さん(55)は、9年3カ月にわたって連れ添ってきた盲導犬・ルーシーを自宅の玄関先で見送った後、こう言ったきり押し黙ってしまった。いつもは明るい性格の今野さんだったが、胸にこみ上げてくるものを抑え切れず、思わずハンカチで目頭を押さえた。
 今野さんを導いてきたルーシーが引退を迎えた今月4日、市内は前日の晴天とは打って変わり、朝から吹雪だった。今野さんは、ルーシーを引き取ることになった同市御廟の高校教頭、岩井尚雄さん(60)、美子さん(55)夫婦が迎えに来るのを待っていた。その時の今野さんは「まだピンとこない」と、ルーシーとの別れを実感できないでいた。
 約束の午前10時、岩井さん夫婦が到着。「悲しい顔をしていないか」と話しかける尚雄さんに、ルーシーはいつものように人懐っこく尚雄さんの顔をなめた。今野さんはルーシーの引退を特集したテレビ番組の録画を見せ、「ルーシーは頭の切り替えが早いから、1週間もすれば次の『主人』だと分かるはず」と岩井さんを気遣ってみせた。その一方で、刻一刻と迫る別れ。今野さんの顔は次第に寂しさに包まれていった。
 そして、別れの時が来た。「お父さん、お母さん(今野さん夫婦)とバイバイだな」。尚雄さんが口火を切った。「家族の一員として、ルーシーが長生きするよう精いっぱい世話をします」と言って立ち上がると、ルーシーを連れて出た。外は雪が小降りになっていた。ルーシーの体力の衰えを聞かされていた尚雄さんは、自分で作った高さ約30センチの木製の台を用意し、ルーシーを車の後部座席に乗せた。
 クラクションを鳴らして立ち去る岩井さん夫婦。それを玄関先で見送る今野さんの家族。「ルーシー、本当にありがとう」。今野さんは心の中で繰り返していた。
 車中のルーシーは、いつもよりおとなしく、じっとしたままだった。美子さんのひざにあごを乗せ、一度も後ろを振り返ることはなかった。これが初めての別れではないルーシー。「もうお父さんの所には帰れない」。ルーシーの大きな背中は、そう言っているようだった。
 今野さんは35歳のころに難病である網膜色素変性症を患って視力が低下、15年前に失明した。41歳で県立盲学校に入学し、鍼灸・マッサージ師の資格を取得。自宅で開業するとともに、南陽市の赤湯温泉の旅館でマッサージルームを開設した。ルーシーとは97年11月に出会い、一緒に列車通勤をした。ルーシーはラブラドルレトリバーの雌で、現在11歳。人間でいえば、70代後半に相当し、「定年」の時期を迎えていた。愛と絆に支えられた盲導犬と人との軌跡を追った。=つづく


別れは、人も悲しいし、犬も悲しいに違いありません。

多くの視覚障害者にとって、自分が障害者でなければずっと犬といたいのに、という思いもあることでしょう。

でも、障害者と盲導犬の関係だからこそ出会うことができ、固い絆を築くことが出来たのも、事実なのです。

現在入手できる盲導犬関連の書籍一覧


推薦図書:『最後のパートナー 盲導犬を引退した犬たち』(幻冬舎文庫)

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2007年02月21日

松山の“ワイヤ犬”やっと保護、動物病院で治療(読売新聞)

2月21日の読売新聞から。

松山市で見つかった、右前脚にワイヤロープが巻きついた雌犬が20日夕、市保健所職員らが掘った落とし穴にかかって保護され、市内の動物病院で治療を受けた。

 イノシシ猟の仕掛けとみられるワイヤによる傷は深く、右前脚は切断の可能性が高いが、今後の生活に大きな支障はないという。

 犬を見つけた住民らの通報で市保健所が16日から餌などで捕獲を試みていたが、警戒心が強く、近くの山に逃げ戻って難航していた。


いつもこの手のニュースを読むたびに思うのですが、もともと、これは、猪を獲るための罠が原因なわけですよね。もしこれが犬ではなく猪だったら、これだけニュースになることもなく、助けようという話にもならなかったでしょう。

以前、高知で熊や猪を獲るためのワナを見たことがありますが、こんなのに足を挟まれたら痛くてたまらないだろうなぁと思いました。

昔みたいに、生きるために必死で猟をしていた時代とは違います。こうやって、死に至らせるまでに長時間の苦痛を与えるような猟はやめたほうがいいんじゃないでしょうか。この犬だって、もし人間が救出しなかったら、長期の苦痛の上に死んでいたでしょう。猟というもののあり方はもう少し考えるべき点が多いように思います。

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