山肌に口をぽっかり開けた、広島県神石町の帝釈観音堂洞窟(くつ)遺跡。洞穴の奥に入った約一万年前の縄文時代の地層から、イノシシだけで九十八頭分の骨が見つかった。食べた獣の骨は、シカやオオカミ、タヌキなど計三十二種類に及んでいる。 「それでも、何千年も暮らしていた遺跡にしては、獣骨の量が少ない。狩猟や採集で暮らしていた時代なのにね」。発掘に加わってきた広島大の中越利夫助手(50)=考古学=は、それだけ採集中心だった証拠と踏む。
「縄文人は、ドングリなどの木の実が主食。狩猟は二の次で、獣の肉はごちそうだったんでしょう」。イノシシと人間は当時から、好物の木の実を奪い合うライバル関係だった、とみる。
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一万年前も昔から、獣と人の摩擦は始まっていた。大地に眠る獣骨から、考古学者たちには、いろんな太古の声が聞こえてくるらしい。
縄文遺跡からは、幼獣のウリ坊の骨は、ほとんど出土しない。「イノシシはごちそうだけれど、縄文人の節度なのか、必要以上に捕ったりしなかった」というのは、米子市出身の佐古和枝・関西外国語大助教授(45)。「イノシシとは共存共栄、自然の恵みに生かされているという自覚があったんでしょう。祈るんです。ありがとう、またよろしく、って」
大陸から稲作が伝わり、広まった弥生時代になると、祈りも集落ぐるみの、組織的な儀礼に変わっていく。
弥生中期の岡山市の南方遺跡からは、儀礼に使ったイノシシの下あごの骨が相次いで見つかった。同じ向きに十二個、横一列に出土した骨を見た興奮を、市埋蔵文化財センターの扇崎由さん(41)は覚えている。
奥あごに、どれも直径三cmほどの穴が開いていた。棒を穴に通し、ぶら下げた跡のようだ。「南方は地域の拠点集落で、大掛かりな祭礼でイノシシをささげた可能性が高い」と扇崎さん。農耕儀礼なのか、狩猟儀礼なのかは、謎のままだ。
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「農耕が始まると、弥生人はいろんな欲が出始めたようですよ」。鳥取県埋蔵文化財センターの北浦弘人さん(41)は、発掘中の青谷上寺地遺跡を例に挙げた。
不自然にひび割れたイノシシの肩やあごの骨が百二十点余り、青谷上寺地遺跡から出土した。占いに使ったのだ。熱した棒を骨に押し当て、割れ具合で吉凶を見た。「農作物の出来不出来、戦の勝ち負け…。そりゃ、気になって仕方なかったんでしょう」
日本社会は、自然の恵みを獣や鳥と分け合う採集生活から離れ、田んぼや畑を開いて食べてゆく安定の道を選んだ。その決別が、イノシシと人間との付き合い方にも、最初の亀裂を入れたのかもしれない。
中国新聞特集「猪変(第4部合縁奇縁 2骨の声)」(2003.3.18)


