2007年02月23日

トレーラー事故で消えたもうひとつの命

昨日の朝、首都高速4号線で、大型トレーラーが宙吊りになる事故があったのは、ニュースでも大きく取り上げられたので、皆さんご存知だと思います。

実は、あの事故現場は、私の家のすぐ近くです。


早朝5時半ぐらいだったでしょうか。時間はよく覚えてませんが、まだ薄暗い時間帯、ものすごい轟音で目が覚めました。


しばらくすると、消防車やパトカーの音がやたらうるさく聞こえてきます。


窓から外を見ましたが、うちから見える範囲には何もありません。ただ、消防車のサイレンの光が、近くの建物に反射しているのが見えました。

そして警察が慌てた様子で、何かを大声で叫んでいる声が聞こえました。


何だろうと思って、服を着て外に出て、救急車や警察のいる方へ向かって見ると、そこには驚くような光景が・・・。
070222_062433.jpg070222_061759.jpg下にはトレーラーに詰まれてた木材の類が大量に散乱していました。

数十メートル離れた場所にも、トラックの破片が飛び散ってたので、相当な勢いで飛び出したものと思われます。


近づいてみると、驚くことに、中央分離帯に犬が一匹いました。

小さい、室内犬です。野良犬でないことは、見てすぐにわかりました。トレーラーに一緒に乗っていて、投げ出されたに違いありません。

当たりを見回していますが、怯えているのか、全然その場から動こうとしません。でも、外傷が全然無いので、私は、奇跡的に命を取り留め、命に別条はないものだとばかり思っていました。

070222_062231.jpgしばらくして、その犬を消防隊の方が撫でてあげてました。画像はその時のものです。「こわがらなくていいよ、もう少しで病院に連れて行くからね」そんな感じで、消防隊の方は撫でていました。

心配なのは飼い主(運転手)です。既に私が見に行った時は、病院に運ばれた後でしたが、これほどの事故なら、亡くなる可能性が高いでしょう。そうしたらこの犬はどうなるのだろうか、そんなことが脳裏をよぎりました。


私は仕事がありましたので、いつまでもそこにいるわけにはいかず、家に戻って支度をして、職場へ向かいました。

そして、職場で、運転手が亡くなったことを知りました。しかし、犬のことは、ネットのどのニュースを見ても、出ていません。



それから夜まで仕事をして、家に帰りました。

そして、帰宅後、ある人からの連絡で、飼い主だけでなく、犬も、動物病院で手当てを受けたものの、飼い主の後を追っていったということを知りました。



私が見たのは、首都高の下の、外堀通りの中央分離帯付近でうずくまっている姿でした。でも、顔を動かして辺りを見ていたし(飼い主を探していたのかもしれません)、外傷もなかったから、命に別条はないだろうなんてその時は思ったのですが、

実際は全身を強く打って、骨も折れて、苦しくてしかたなかったんですね・・・。


実は、中央分離帯にいたのは、消防の人が移動させたからだそうです。

最初、消防隊が駆けつけた時には、倒れている運転手のそばに寄り添って、顔をなめて、懸命に運転手を起こそうとしていたのだとか・・・。

痛くてたまらないのに、飼い主を気遣うなんて・・・。



犬を助手席に乗せていた飼い主。いつも一緒に旅をする大切な相棒だったのでしょう。
そして、自分も苦しいのに、飼い主を気遣う小さい犬。飼い主のことが大好きだったに違いありません。


このことを人に話すと、

犬だけ残されるより、一緒に死ねたのは幸せだったなんて言う人もいました。
天国で幸せにふたりで暮らしてるに違いないと言う人もいました。

素直にそんな言葉にはうなずくことはできないながらも、いろんなことを考えてしまいました。



楽しかったふたりの時間。それはふたりだけしか知らない世界。

ふたりが居ない今は、過去に、そんな幸せな時間があったことも、夢のように消えてしまって、誰も知ることができません。



私が現場に駆けつけた時、確かに犬は生きていました。

あの時、あの犬は、一体、何を見て、何を考えていたのでしょう。




それから私は、夜、暗くなった事故現場に再度行ってみました。

車や、積荷は、跡形も無く綺麗に掃除されていましたが、



誰が置いたのか、小さい花束が、

あの犬のいた、中央分離帯に挿してありました。
posted by Mana at 21:09| Comment(140) | TrackBack(1) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ありがとうルーシー・盲導犬と築いた絆:第1部・出会いと別れ/2(毎日新聞)

2月21日の毎日新聞山形版に、連載記事「ありがとうルーシー・盲導犬と築いた絆」が掲載されています。
冒頭では、盲導犬育成の歴史が叙述されていて興味深いです。

 ◆誕生
 ◇一番目立たなかった
 犬が視覚障害者を誘導するようになった歴史は、意外に古い。
 最古の史料として残っているのは、紀元79年に火山噴火で壊滅した古代ローマの都市国家・ポンペイ(イタリア)の壁画だ。犬に導かれて市場を歩く男性の様子が描かれている。6世紀にはフランスの宣教師が白い小型犬を連れて布教活動をしたという記録もある。第一次大戦中のドイツでは、戦争によって視力をなくした軍人のために、盲導犬育成学校が設立され、本格的な犬の訓練が始まった。
 日本では1938年にアメリカ人青年が盲導犬と一緒に来日したのが最初。翌年には4頭が輸入され、傷痍(い)軍人が使用した。4頭の死後は一時途絶えたが、アイメイト協会創設者の塩屋賢一氏が復活させ、57年に国産第1号の盲導犬が誕生した。今では九つの盲導犬育成施設が育てた952頭(05年3月末現在、日本盲人社会福祉施設協議会調べ)が活躍している。
 盲導犬は訓練センターに入るまでに、いろんな人の手を経る。盲導犬としての資質を備えた親となる犬(繁殖犬)を預かり、交配や出産の世話をする「繁殖犬ボランティア」(ブリーディングウオーカー)、1歳になるまで一緒に家庭内で生活する子犬育成ボランティア「パピーウオーカー」……。その都度、愛情が注がれ、人間社会のルールを覚えていく。米沢市の今野善一さんを支えてきたルーシーも例外ではなかった。
 富士五湖の一つ、山中湖を有し、早くから避暑地として開けていた山梨県の東南部にある山中湖村。ルーシーは95年10月、ここに住む老夫婦が飼っていた家庭犬(ペット犬)の間に生まれた。父はベン、母はルーシーといい、いずれもイギリス系のショードッグとして活躍できる血統の良いラブラドルレトリバーだった。日本盲導犬協会神奈川訓練センター所長だった朴善子さん(43)=現NPO法人・日本補助犬協会副理事長=が、知人を通して依頼を受け、イギリスから輸入した。朴さんによると、「産まれた子犬はセンターに寄付する約束だった」という。
 盲導犬は血統が第一といわれる。通常は繁殖犬を各訓練センターが選んで交配するのだが、これは優れた盲導犬を育成するためだ。ルーシーのように家庭犬から生まれた犬は珍しいが、当時はまだ繁殖数が少なかったので、家庭犬の子犬を購入したり、寄付を受けることも多かったらしい。
 出産の連絡を受けた朴さんは、老夫婦の自宅に行った。子犬は雄3頭、雌3頭の計6頭。みんな丸々と太った可愛い子犬たちだった。朴さんが呼ぶと近づいたり、犬同士で無邪気にたわむれた。朴さんはその中で最も目立たなかった雌の子犬に目をつけた。「この犬なら大丈夫だ」。ルーシーが盲導犬に向けて第一歩を踏み出した瞬間だった。=つづく


目立たない犬に目をつけた、とありますが、やはりおとなしい犬が、盲導犬には適しているのでしょうか。
大変な訓練を一生懸命こなし、人の手助けをする犬。本当に立派です。
続きが早く読みたいです。

現在入手できる盲導犬関連の書籍一覧


関連図書:沢田俊子『盲導犬不合格物語』(学習研究社)

posted by Mana at 20:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 動物ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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