2006年09月22日

<子猫殺し告白>坂東さんを告発の動き…タヒチの管轄政府

 直木賞作家の坂東眞砂子さん(48)=フランス領タヒチ在住=が、日本経済新聞に寄稿したエッセーで告白した「子猫殺し」。その内容をめぐって余波が続いている。タヒチを管轄するポリネシア政府は、坂東さんの行為を動物虐待にあたると、裁判所に告発する構えを見せている。20日から26日は、動物愛護週間。坂東さんが、真意を語りたいと毎日新聞に寄稿した。 
 ◇坂東眞砂子さん寄稿…子猫を殺す時、自分も殺している
 私は人が苦手だ。人を前にすると緊張する。人を愛するのが難しい。だから猫を飼っている。そうして人に向かうべき愛情を猫に注ぎ、わずかばかりの愛情世界をなんとか保持している。飼い猫がいるからこそ、自分の中にある「愛情の泉」を枯渇させずに済んでいる。だから私が猫を飼うのは、まったく自分勝手な傲慢(ごうまん)さからだ。
 さらに、私は猫を通して自分を見ている。猫を愛撫(あいぶ)するのは、自分を愛撫すること。だから生まれたばかりの子猫を殺す時、私は自分も殺している。それはつらくてたまらない。
 しかし、子猫を殺さないとすぐに成長して、また子猫を産む。家は猫だらけとなり、えさに困り、近所の台所も荒らす。でも、私は子猫全部を育てることもできない。
 「だったらなぜ避妊手術を施さないのだ」と言うだろう。現代社会でトラブルなく生き物を飼うには、避妊手術が必要だという考え方は、もっともだと思う。
 しかし、私にはできない。陰のうと子宮は、新たな命を生みだす源だ。それを断つことは、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つことにもつながる。もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。経済力や能力に欠如しているからと言われ、納得するかもしれない。それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と絶叫するだろう。
 もうひとつ、避妊手術には、高等な生物が、下等な生物の性を管理するという考え方がある。ナチスドイツは「同性愛者は劣っている」とみなして断種手術を行った。日本でもかつてハンセン病患者がその対象だった。
 他者による断種、不妊手術の強制を当然とみなす態度は、人による人への断種、不妊手術へと通じる。ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、晴れ晴れした顔をしている人に私は疑問を呈する。
 エッセーは、タヒチでも誤解されて伝わっている。ポリネシア政府が告発する姿勢を見せているが、虐待にあたるか精査してほしい。事実関係を知らないままの告発なら、言論弾圧になる。
 ◇解説…動物の生と死、多角的議論を
 坂東さんは「子猫殺し」を発表することで、愛猫に抱く葛藤(かっとう)を伝えるとともに、過剰なペット依存社会に一石を投じ、動物の生と死について再考を促そうとした。しかし現状では、多角的で本質に迫る議論には発展していない。
 「雌猫3匹が産む猫を、がけから放り投げている」。この強い表現は、猫への愛情と罪悪感が希薄な印象で、読む側の不快感につながった。言葉を扱うプロだからこそ、意図を正確に届ける工夫がもっとほしかった。
 また、猫への避妊手術は、坂東さんの挙げる野良猫対策とは異なる側面もある。野良猫の7割以上がウイルスを持っているといわれる猫エイズの予防だ。治療法は確立されていないが、体液の接触感染が主な原因で、不妊・去勢手術を施してけんかや交尾の機会を減らせば防ぎやすくなる。
 現代社会の猫や犬は、単なるペットではなく、人生の伴りょとして扱われる。坂東さんに賛同する人は少ないだろう。ただ、私たちが「動物にとっての本当の幸せ」を知るすべはない。動物の飼育を「自分勝手な傲慢(ごうまん)」と考えている人はどれだけいるだろうか、人間に向かうべき愛情が動物に偏って注がれていないか……。坂東さん、そして社会が抱える病理を多数派の意見で押し込めてはならない。【鳴海崇】
 ◇子猫殺し 坂東さんが日経新聞8月18日夕刊でエッセー「子猫殺し」を掲載。飼っている雌猫に避妊手術をせず、子猫が生まれるとがけ下に投げていることを明らかにした。日経にはメールと電話で延べ1497件(今月19日現在)の意見が寄せられた。「残酷で不快」「動物愛護の精神に反する」「生命を軽視している」「避妊手術と、子猫を殺すことを同列に論じるのはおかしい」など、大多数が批判。少数だが「納得できた」「これからも生と死について書き続けて」との賛意もあった。
(毎日新聞) - 9月22日15時45分更新


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作家の坂東真砂子氏「猫殺し」に批判殺到

 タヒチ在住の直木賞作家、坂東真砂子氏(48)が日本経済新聞で「私は子猫を殺している」と告白したコラムに批判が起きていることが23日、分かった。日本動物愛護協会では「完全な犯罪行為」とし、坂東氏サイドに事実確認をする意向という。インターネット上でも「残酷」「最低」などの声が相次ぎ、掲載した日本経済新聞社に批判や抗議が殺到する事態に発展している。

 坂東氏は日本経済新聞18日付夕刊の「プロムナード」というコーナーに、「子猫殺し」というタイトルのコラムを執筆。その中で、タヒチ(仏領ポリネシア)の自宅で飼っている3匹の雌猫が、野良猫らと交尾して生んだ子猫を殺害していることを「私は子猫を殺している」と告白した。「家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生まれ落ちるや、そこに放り投げるのである」などと明かした。

 子猫殺しの理由として、坂東氏は避妊手術の決心がつかないことを挙げた。盛りのついた時に性交し、出産することが雌猫の「生」だとし「その本質的な『生』を人間の都合で奪いとっていいものだろうか」と説明。猫に避妊手術をすることと、子猫殺しをすることを「どっちがいいとか悪いとか、いえるものではない」とし、最後に「私は自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した」と述べている。

 この告白に対し、日本動物愛護協会(東京都)では「事実なら、日本国内であれば動物愛護法違反になり、完全な犯罪行為。フランスの刑法にも抵触する。法治国家の中で、直木賞作家が犯罪行為を告白するなど、見識がなさすぎるし、世界中のどこでもこのような行為が許されるわけがない。非常に憤りを感じる」と話した。

 同協会では坂東氏側に原稿内容の事実確認をした上で、何らかのアクションを起こすことも検討。「掲載した日本経済新聞にも責任があるのではないか」としている。同協会には21日ごろから「あの原稿を読んで心を痛めている」「本当につらい」などの電話やメールが相次いでいる。

 ネット上でも物議を醸しており、坂東氏作品の読者らの掲示板でも「最低だと思った」「すごく残酷」「今に天罰が下る」など強い批判が多数書かれている。

 日本経済新聞社によると、23日までにこのコラムに対する意見はメール約300件、電話約60件寄せられ「多くが批判、抗議」という。坂東氏は7月7日から週1回、同紙にコラムを執筆。同新聞社では「個々の原稿の内容については、原則として、筆者の自主性を尊重している。さまざまなご意見は真摯(しんし)に受け止めたいと考えている」としている。

[2006年8月24日7時16分 日刊スポーツ]

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作家の坂東眞砂子が18日の日経新聞で日常的に子猫を殺していると語る

63b13e28.jpgプロムナード(日経新聞18日) 

子猫殺し―――坂東眞砂子

こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。
世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。
動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。
そんなこと承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。
家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生れ落ちるや、
そこに放り投げるのである。
タヒチ島の私の住んでいるあたりは、人家はまばらだ。
草ぼうぼうの空地や山林が広がり、そこでは野良猫、野良犬、
野鼠などの死骸がころころしている。
子猫の死骸が増えたとて、人間の生活環境に被害は及ぼさない。
自然に還るだけだ。
子猫殺しを犯すに至ったのは、いろいろと考えた結果だ。

私は猫を三匹飼っている。
みんな雌だ。
雄もいたが、家に居つかず、近所を徘徊して、やがていなくなった。
残る三匹は、どれも赤ん坊の頃から育ててきた。
当然、成長すると、盛りがついて、子を産む。
タヒチでは野良猫はわんさかいる。
これは犬も同様だが、血統書付きの犬猫ででもないと、もらってくれるところなんかない。
避妊手術を、まず考えた。
しかし、どうも決心がつかない。
獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。
その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか。
猫は幸せさ、うちの猫には愛情をもって接している。
猫もそれに応えてくれる、という人もいるだろう。
だが私は、猫が飼い主に甘える根元には、餌をもらえるからということがあると思う。
生きるための手段だ。

もし猫が言葉を話せるならば、避妊手術なんかされたくない、子を産みたいというだろう。
飼い猫に避妊手術を施すことは、飼い主の責任だといわれている。
しかし、それは飼い主の都合でもある。
子猫が野良猫となると、人間の生活環境を害する。
だから社会的責任として、育てられない子猫は、最初から生まないように手術する。
私は、これに異を唱えるものではない。
ただ、この問題に関しては、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。
子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。
避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。
そして、この差の間には、親猫にとっての「生」の経験の有無、子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。
どっちがいいとか、悪いとか、いえるものではない。
愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。
獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。
生き延びるために喰うとか、被害を及ぼされるから殺すといった生死に関わることでない限り、人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。
人は神ではない。
他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。
どこかで矛盾や不合理が生じてくる。
人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。
生まれた子を殺す権利もない。
それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。
私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。
もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。
(作家)
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2006年09月20日

神事に息づく共存の気風(中国新聞特集「猪変」より)

「森の隣人」 感謝と慰霊
 山の幸への感謝、あやかり、弔い。「森の隣人」として、イノシシを受け入れていた気風は今も、郷土芸能やしきたりにかすかに薫る。中国地方で盛んな亥(い)の子祭り、狩りの作法を伝える九州山地の里の神事…。息づく余情を拾った。

文・石丸賢、林淳一郎 写真・山本誉


宮崎県西都市 夜神楽
舞に伝統の狩猟作法 「姿消したら元も子もない」

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t030317a.jpgイノシシの頭を供えた祭壇の前で続く、伝統の神楽。舞は一昼夜、18時間に及んだ(2002年12月、宮崎県西都市)


 りょう線が空をV字に切る、宮崎県西都市の銀鏡(しろみ)地区。創建から五百年余り、ひなびた銀鏡神社は昨年暮れ、年に一度の祝祭の夜神楽で華やいでいた。


t030317b.jpgいにしえの猟風景を伝えるシシトギリの舞。老夫婦にふんした祝人が弓を引くと、客席が歓声でわいた
t030317c.jpg祭りの後、祭壇から下ろしたイノシシの頭を火にくべる。狩りの神様に、猟の繁栄を願って

 太鼓や笛の調べが、風に乗る。社殿の前に設けた舞殿で、神社の氏子に当たる祝子(ほうり)たちが体を翻す。はやし手の頭上に渡した板に、目を閉じたイノシシの頭部が六つ並んでいる。地元のハンターたちが、獲物をはぐくんでくれた山の神にささげた、供え物だという。

 「山のもん(恵み)に感謝するのは、山に育った私らの務めです」と三十代目の宮司、浜砂武俊さん(74)。生きる喜びと、犠牲への鎮魂と。一見きらびやかな国重要無形民俗文化財の夜神楽はあくまで、大祭行事(十二月十二〜十六日)の一つにすぎない。

 カメラのフラッシュが瞬く境内は、県内外からの観客約二百人で埋まっていた。広島市から訪れた無職下畠信二さん(66)は「イノシシの頭は、ちょっと気味悪い。だけど、しきたりにのっとった儀式は、山の神と向かい合ってる気分になれる」と声を潜めた。

 いてつくような冬の夜気の中、神楽は続く。三十三もの演目を舞い終えたのは翌日の昼すぎ、開演から、実に十八時間がたっていた。

 銀鏡地区には約千人が暮らす。平地が少なく、水田には向かない。縄文時代から、焼き畑農業が盛んだった。森を切り開いては、火を入れ、焼け跡にソバやヒエを作る繰り返し。「いい米がでけたら、学校のグラウンドまで担いできて、驚き合うたとです」と祝子の一人、浜砂重文さん(67)は懐かしむ。

 イノシシを追い出す効果もあった焼き畑が、山火事の不安から二十年ほど前に衰退。段々畑は一層、獣害の標的になった。実るそばから、食い荒らされる。駆除が必要になった。タンパク源にもなるイノシシを狩りで減らし、収穫の無事を待つ―。豊作の祈りは、深みを増している。

 終盤近くの出し物、シシトギリ舞いには狩りの作法が織り込まれている。弓矢を手に老夫婦がイノシシの足跡をたどり、猟師たちと合図で包囲網を狭めてゆく、古式ゆかしいイノシシ猟の一部始終をまねる。

 「今は弓の代わりに銃を使うが、狩りの手順は一緒。被害さえ出なけりゃいい、という考え方も変わらない」と西都猟友会の銀鏡支部長、浜砂清忠さん(65)。有害駆除に出ても、期間の半分は空砲で追い払うだけ。「イノシシが姿を消したら、神楽も舞えんとです。元も子もない」

t030317d.jpg河原の祭壇に、焼いたイノシシの肉片をささげる。5日間続いた大祭のしずかなフィナーレ
t030317e.jpg神楽の合間、境内でくつろぐ観客たち。奏楽がやむと、谷間に静けさが戻る

 大祭の最終日。神社近くの川岸に、大祭を取り仕切る宮人(みょうじ)役の浜砂修照さん(65)たちが集まった。氷雨も構わず、供えたイノシシの頭をたき火にくべる。「暮らしぶりは変わっても、伝統の心を廃らせたら、いけんとです」と修照さん。

 イノシシとともに、生きる―。戒めにも似た決意に、銀鏡の人々の心根を垣間見た気がする。


広島県坂町 亥の子祭り
憎い敵 されど祭神 豊作と商売繁盛祈る

 ♪いーのこ いのこ いーのこもちついて いわわんものは…


t030317f.jpg亥の子石に結わえた縄を上下に振り、地面をつく。祝いのはやし声が軒先に響いた(2002年11月、広島県坂町)

 甲高い、はやし声が軒先に響く。眼下に遠く、広島湾を臨む広島県坂町の中村迫地区。毎年十一月、約百五十年前から引き継ぐ亥の子祭りが繰り広げられる。

 亥の子祭りは、多産のイノシシにあやかり、豊作や商売繁盛を祈る祝いの行事。中国五県一円をはじめ、近畿や四国、九州の一部に伝わる。

 民家の玄関先。荒縄をくくり付けた重さ約十キロの石を、二十人ほどの子どもが振り上げ、地面をつく。ついた穴に、清めの紙片をまく。家々から心付けを集めながら、地域中を回る。

 「田畑を荒らすイノシシは、昔から好かれんかったろうに。何で、祭神になれたんかね」。亥の子神楽保存会の正原利朗会長(52) が見やる山の手には、イノシシよけのトタン板が目立つ。

 昨年、一行を迎えた会社員尾茂康国さん(54)の家は敷地をぐるり、さくで囲ってある。「憎い敵にまつわる亥の子石を招き入れ、喜ぶのも複雑な気分」と苦笑い。  祭りの後、公民館で保存会メンバーが祝い酒を回す。「地域をつなぐ亥の子はええが、イノシシはご免じゃの」。若手の声に、何人かの年配者が応じた。「シシも子を産んで、生きんにゃいけん」「相手の立場も見ちゃらんにゃあ」。ひと呼吸置いて、話の輪にまた、笑いが戻った。


■ 忘れまい 命奪う重み ■

 中国地方で供養の動き「心で経唱え、撃つ」

 生活のため、地域のためと、心を鬼にして害獣と思い込んでも、命をあやめる抵抗感が日本社会には根強い。中国地方の各地でもイノシシ供養の動きが目立つ。

t030317g.jpg有害駆除のイノシシやサルを弔う島根県瑞穂町猟友会の石碑。春の雪が降りかかる(今年3月)

 「心で経を唱えて、撃つのよの」「ウリ坊(幼獣)は殺せん」。取材で訪ねる先々で、有害駆除に出るハンターから苦い胸の内を聞いた。身内が出産を控えた時期は殺生したくない、と銃を遠ざける人も少なくない。

 中国山地にある島根県瑞穂町の猟友会は一九九六年春、「鳥獣慈命碑」を建てた。九一年からイノシシ退治が町内で本格化し、獲物の大半を有害鳥獣が占めるようになった。「有害駆除とはいえ、命を奪う重みを忘れないように」と、石碑代は会員が出し合った。

 瀬戸内海に浮かぶ大崎上島では獣害が急増中。わなで駆除をする、広島県木江町のミカン農家は昨年、供養祭を始めた。シシにちなんで四月四日。こちらは「過疎地は生きるか死ぬかの戦い。供養の後、仲間と固めの杯を交わすんよ」。

中国新聞特集「猪変(第4部合縁奇縁 特集・神事に息づく共存の気風)」(2003.3.17)
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猪の字 名字や地名 親しみ刻む(中国新聞特集「猪変」より)

4-6map.gif イノシシを名字にあやかる一族がある。太田川が貫く広島県加計町の程原地区。十戸の家々はどれも、「猪(いの)」の表札を掲げる。


 約八百年前というから、源平合戦のころだ。源氏に、猪隼太(はやた)という侍がいた。戦に敗れ、今の東広島市まで逃げのびた。何代かの世代を経て、子孫が、さらに山あいの加計町に移住。江戸時代には鉄砲の火薬をこしらえ、生計を立てたという。

 猪姓は珍しく、中国地方では広島市北部と岡山県北部に親類がいるぐらい。「小さい時は恥ずかしゅうて。今は、仕事相手にすぐ覚えてもらえて、助かってます」。週末に、就職先の大阪から帰省していたデザイナー猪尚昭さん(27)が照れる。そばで母親の待子さん (50)も「そうよ。新年会、秋祭りと、親類が何かと集まれる一体感のもとなんだから。ありがたいことよ」

 ◇ ◇

 宍道湖に臨む島根県宍道町。地名の「宍」は、シシとも読む。宍道はシシ道、つまりイノシシの通る獣道なのだ。

 ゆかりの伝説が、約千三百年前の奈良時代の地誌「出雲国風土記」にある。大黒様が犬を連れて狩りに出かけると、犬と二頭のイノシシが石に変わった、という。山際の神社に残る猪石(ししいし)が伝説の名残とされ、町文化財にも指定されている。


4-6.jpg集落を貫く川に、イノシシの絵を彫った橋がかかる猪山地区(広島県戸河内町)

 古い地名ほど、土地の環境や歴史を知るよすがが隠れている。「猪」の字を含んだ地名が中国五県にないか、国土地理院の地図を繰ってみた。猪之子、猪ノ鼻、猪又、猪原…。六十近く、載っていた。イノシシを隣人として、受け入れてきた器量の証しだろうか。

 ◇ ◇

 その一つ、広島県戸河内町の北東部、谷あいに開けた猪山(いのしやま)地区の由来は、谷の中州にある高さ二メートルほどの土こぶだった。イノシシが伏せた姿に似ている。かつては頭部もあったが、大雨で流された。周りの山々も、獣の気配が濃い。

 「強い獣じゃけえね。地区を守ってもらおう願うて、地名に付けたんかも」。地元の農家で、郷土史好きの煙草(たばこ)冨広さん (72)は、そう推し量る。

 猪山の名前は、製鉄について触れた江戸時代の古文書に載っている。たたら製鉄が盛んだった中国山地の集落らしく、猪山にも十一カ所の遺構が残る。大量の薪を切り出し、炉にくべ、鉄を作った。山あっての暮らしを刻んできた。

 煙草さんも若い時分は、山仕事で汗をかいた。材価の低迷で見放され、荒れ放題になってゆく造林地。「森が細って、食い物がなくなりゃ、イノシシは里に出るよ。終戦直後のわしらが、そうじゃったよ。食料がのうて山へ入り、野草も食べた。今はイノシシが、逆襲しよるんじゃね」

中国新聞特集「猪変(第4部合縁奇縁 6猪の字)」(2003.3.22)
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後味 薬食い 肉食禁忌の例外(中国新聞特集「猪変」より)

4-5map.gif 殺生を戒める仏教観から、肉食がタブーだった江戸時代。実は、ひそかにイノシシなど獣の狩猟や料理は続いていた。「薬食い、というんです。体が温まる、滋養になるからと、言い訳を付けて口に入れていました」。梅花短大(大阪府)の高正晴子教授(59)=食文化史=が言う。

 例外が、もう一つあった。高正教授が研究を重ねてきた、朝鮮通信使へのもてなし、である。


 徳川幕府の将軍が代わる度、通信使の帆船が瀬戸内海を行き来した。風や潮待ちに寄る港で、地元の岩国藩や広島藩が一行を接待した。  「ほら、ここにイノシシと書いてある」。岩国市の郷土史料を収集する岩国徴古館の館長、宮田伊津美さん(56)が古文書をめくる手を止めた。岩国藩が朝鮮通信使の好き嫌いを下調べした資料。タイやアユ、大根やゴボウなど計七十八種類の好物のうち、獣肉では「いの志し」(イノシシ)が「家猪(かちょ)」(ブタ)に次ぎ、二番目に挙がっている。


4-5.jpg朝鮮通信使の帆船が寄港し、イノシシ肉を積み込んだ長島(山口県上関町)

 「朝鮮料理に通じた長崎の対馬藩から、情報を事細かにもらったようです。鶴とかウナギとか、苦手な食べ物も書き留めてある」と宮田さん。通信使の接待は、幕府挙げての大事業。ある年には百万両(数百億円相当)もかけている。地方の藩主にとっては、官位を上げるチャンスだった。

 ◇ ◇

 イノシシは主に、通信使や船乗りたちの航海中の食材として、帆船に積み込んだ。塩漬けやゆでた肉を、ゴボウやセリ、いりこと煮て汁にするのが好みだったという。岩国藩では、現在の岩国市柱野周辺にいたシシ狩り集団にイノシシ肉の調達を頼んだ節がある。

 「だけど、通信使をもてなす公式儀礼のおぜんには、イノシシ料理が見当たらないんですよ」。山口県上関町の主婦井上美登里さん (50)は、海峡を挟む小さな長島を見つめた。長島は岩国藩の接待の場だった。井上さんは町古文書解読の会の仲間と、通信使に関する史料を読んでいる。

 当時の献立には、瀬戸内自慢の魚料理が並ぶ。「日本の料理人が、肉をさばくのを嫌がったんですかねえ」というのが、井上さんの推理。

 ◇ ◇

 「命を奪う後味の悪さにも、順番みたいなものがあったようですよ」。イノシシ研究者で、浄土真宗の寺に生まれた奈良大の高橋春成教授(51)=地理学=が、推理に助け船を出してくれた。野菜より魚介類、魚介より鳥、鳥より獣と、より人間に近いと考える順に、食材にする後ろめたさを感じていたという。

 イノシシには最近、農地を荒らす害獣という見方が強まり、その生態や行動の解明に期待が集まる。「科学的に研究するあまり、彼らの命に鈍感になるまい」。寺の副住職でもある高橋教授は、自戒を込めて語る。

中国新聞特集「猪変(第4部合縁奇縁 5後味)」(2003.3.21)
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恩獣 「神仏の使い」庶民親しむ(中国新聞特集「猪変」より)

4-4map.gif 岡山県和気町の和気神社には、イノシシを霊猪(れいちょ)と呼ぶ習わしがある。参道に鎮座する魔よけのこま犬まで、イノシシだ。長い鼻をつんと上げた石像が、にらみを利かす。


 「神の使いと考えているんです。祭神の和気清麻呂さんを助けてくださったので」。宮司の小森成彦さん(57)が厳かに言う。和気で生まれた奈良時代の公家とイノシシを結び合わせた、伝説を話してくれた。

 ◇ ◇

 清麻呂は皇位をめぐる政争で、都から鹿児島に追いやられた。道中、大分・宇佐八幡宮で追っ手に襲われた。その時、どこからともなくイノシシの大群が現れ、暗殺の危機から救ってくれた―。明治時代に清麻呂が十円札の肖像画に選ばれた時も、裏面にはイノシシが刷られたほど、当時は有名なコンビだった。


4-4.jpg社殿のわきにも、イノシシの魔よけが鎮座する和気神社(岡山県和気町)

 「人間は、矛盾した生き物だなあ」と、小森さんは最近思う。野獣と知ってあがめ、祈っていたのに、農業被害が増えたら、手のひらを返して駆除に躍起になる。

 中国山地にある島根県三刀屋町の禅定寺には、本尊の聖観世音菩薩(ぼさつ)がイノシシに化けたという逸話が残っている。

 ある豪雪の冬、餓死寸前の住職の前にイノシシが現れ、脚を食べさせ、命を救ってくれた。それは、菩薩の化身だった。以来、「身代わり観音」と呼ばれ、拝めば食べ物に不自由しないと信じられてきた。町内外の農家は昭和の初めまで、参拝時には種もみを携え、やってきていた。

 ◇ ◇

 「菩薩様も、同じ化けるんなら、肉のうまいイノシシがええと思うたんでしょうなあ」。二年前に住職を引いた後も過疎の山寺の守りをする、岡田慶運さん(83)がにこやかに話す。

 岡田さんも害獣と憎まれ、駆除される一方のイノシシに心を痛める。「人間は、野のもんをもっと大切に育てんと、食べていけんはず。命を粗末にしたら、いつか罰が当たる」

 廿日市市北部(旧吉和村)の猟友会長を務める酒販業栗栖国泰さん(65)は、束ねたイノシシの毛を空の金庫に入れてある。毛先が二また、三またと分かれ、運が開けると今でも珍重される。「縁起担ぎでお金が増えるように、レジや財布に入れたりしたんよ」

 猟を始めて四十年。数年前まで、村内の山で見かけなかったイノシシの気配が濃くなっている。住民の多くは、異変に気付いてない。「給料取りばっかり増えて、山に入る者が減ったけえ」。若者は持ち山の境界さえ、あやしいという。

 自宅前の国道186号を、車が行き交う。「昔の人は、貴重なイノシシ一頭をどう使いきるか、じっくり考えたんじゃろうね。毛一本をありがたがるんじゃけえ。やっぱり今は、物がありすぎるんかねえ」

中国新聞特集「猪変(第4部合縁奇縁 4恩獣)」(2003.3.20)
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嘆き節 畏敬の心にじむ万葉歌(中国新聞特集「猪変」より)

4-3map.gif 奈良時代に編まれた、日本最古の歌集「万葉集」にイノシシを詠んだ歌が十九首出てくる。恋路を邪魔する、彼女の母親を嘆く歌がある。

 霊(たま)合へば相寝(あいぬ)るものを小山田の鹿猪(しし) 田守(も)るごと母し守らすも

 監視のきつさを「山の田でシカやイノシシを見張るよう」と例えている。イノシシは既に、害獣の代名詞だった。


 ◇ ◇

 「万葉の歌の舞台は、多くが里山。昔から、人と獣がぶつかり合う場所だったんです」。益田市の矢冨厳夫さん(74)は古里ゆかりの万葉歌人、柿本人麻呂の研究者。「山のもっと奥は、死者がさまよう場所と考えられていましてね。死後の世界から下りてくる獣のイノシシに、人間は恐れおののいたんですよ」

 万葉集には、イノシシの特別な表記法がある。「十六」と書いて、シシと読ませる。九九のもじりである。死の連想につながる四の字を重ねる「四四」と書くのを嫌ったのだ、という。

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耕作放棄田のやぶから現れた、イノシシの寝床(島根県瑞穂町)

 イノシシを詠んだ十九首は恋の歌あり、狩りの歌あり。「どの歌も、にっくき害獣イノシシという心ばえはない。自然界に対する畏敬(いけい)の念があったんでしょう」と矢冨さん。

 生態の分からないイノシシは長い間、物怪(もののけ)に通じる怪獣と信じられていた。万葉集から四百年ほど下った室町時代の随筆「徒然草」。吉田兼好は「臥(ふ)す猪(い)の床」という和歌の決まり文句に触れ、こう書いている。

 「恐ろしいイノシシにしても、枯れ草を集めて眠るイノシシの寝床と口に出してみると、優雅な感じになってしまう」

 ◇ ◇

 かつて恐れた山を、現代人は切り開き、ドングリのならない人工林や田畑に変えた。野生鳥獣のすみかと、背中合わせの暮らしを選んだのだ。

 「イノシシには、えっといじめられた。神様は何で、こんな害獣を生ましめたもうたんじゃろうか、思うよ」。島根県瑞穂町の中野春雄さん(79)は妻と二人、山際の田畑約二十アールを耕し続けてきた。田を荒らされ、芋は丸ごとさらわれる。「農業じゃ食っていけんと、子どもは都会に出た。家族一緒に過ごせないのがつらい」。悲しみを、二十代で覚えた短歌に塗りこめてきた。

 猪(しし)防ぐ花火鳴らせし爆煙が露けき月の峡(かい)下りゆく

 この十年、イノシシを詠む歌がめっきり増えた。二年前には「猪と棲(す)む」と二十三首をまとめ、同人誌に載せた。

 夢にまでイノシシが現れる日々。六年前に聴力を失い、苦悩はこもる。憎むあまり、猟師の獲物をくわで打った時もある。「生き物の命を奪うのは、むごいと思うが、農家にすりゃあ、どう見たって害獣でしかないんよ」。声が震えていた。

中国新聞特集「猪変(第4部合縁奇縁 3嘆き節)」(2003.3.19)
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骨の声 人と獣の歴史 刻む傷(中国新聞特集「猪変」より)

4-2map.gif 山肌に口をぽっかり開けた、広島県神石町の帝釈観音堂洞窟(くつ)遺跡。洞穴の奥に入った約一万年前の縄文時代の地層から、イノシシだけで九十八頭分の骨が見つかった。食べた獣の骨は、シカやオオカミ、タヌキなど計三十二種類に及んでいる。

 「それでも、何千年も暮らしていた遺跡にしては、獣骨の量が少ない。狩猟や採集で暮らしていた時代なのにね」。発掘に加わってきた広島大の中越利夫助手(50)=考古学=は、それだけ採集中心だった証拠と踏む。

 「縄文人は、ドングリなどの木の実が主食。狩猟は二の次で、獣の肉はごちそうだったんでしょう」。イノシシと人間は当時から、好物の木の実を奪い合うライバル関係だった、とみる。

 ◇ ◇

4-2.jpg岡山市の南方遺跡から、横一列に並んで出土したイノシシのあご骨=1994年10月(市埋蔵文化財センター提供)

 一万年前も昔から、獣と人の摩擦は始まっていた。大地に眠る獣骨から、考古学者たちには、いろんな太古の声が聞こえてくるらしい。

 縄文遺跡からは、幼獣のウリ坊の骨は、ほとんど出土しない。「イノシシはごちそうだけれど、縄文人の節度なのか、必要以上に捕ったりしなかった」というのは、米子市出身の佐古和枝・関西外国語大助教授(45)。「イノシシとは共存共栄、自然の恵みに生かされているという自覚があったんでしょう。祈るんです。ありがとう、またよろしく、って」

 大陸から稲作が伝わり、広まった弥生時代になると、祈りも集落ぐるみの、組織的な儀礼に変わっていく。

 弥生中期の岡山市の南方遺跡からは、儀礼に使ったイノシシの下あごの骨が相次いで見つかった。同じ向きに十二個、横一列に出土した骨を見た興奮を、市埋蔵文化財センターの扇崎由さん(41)は覚えている。

 奥あごに、どれも直径三cmほどの穴が開いていた。棒を穴に通し、ぶら下げた跡のようだ。「南方は地域の拠点集落で、大掛かりな祭礼でイノシシをささげた可能性が高い」と扇崎さん。農耕儀礼なのか、狩猟儀礼なのかは、謎のままだ。

 ◇ ◇

 「農耕が始まると、弥生人はいろんな欲が出始めたようですよ」。鳥取県埋蔵文化財センターの北浦弘人さん(41)は、発掘中の青谷上寺地遺跡を例に挙げた。

 不自然にひび割れたイノシシの肩やあごの骨が百二十点余り、青谷上寺地遺跡から出土した。占いに使ったのだ。熱した棒を骨に押し当て、割れ具合で吉凶を見た。「農作物の出来不出来、戦の勝ち負け…。そりゃ、気になって仕方なかったんでしょう」

 日本社会は、自然の恵みを獣や鳥と分け合う採集生活から離れ、田んぼや畑を開いて食べてゆく安定の道を選んだ。その決別が、イノシシと人間との付き合い方にも、最初の亀裂を入れたのかもしれない。


中国新聞特集「猪変(第4部合縁奇縁 2骨の声)」(2003.3.18)
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天の恵み 牙も毛も余さず工芸品(中国新聞特集「猪変」より)

 朝青龍が連覇で、横綱昇進を決めた大相撲初場所。筋骨隆々のかいなに次々抱かれた優勝杯の一つに、飾り彫りのイノシシが透けて光った。

4-1a.jpg上=イノシシを彫ったチェコ国友好杯(赤いのは背景の色紙の色)
4-1b.jpg下=初場所に優勝した朝青龍に手渡された

 有名なボヘミアングラス製のチェコ国友好杯。大阪万博を機に一九七〇年から贈り続ける友好杯は絵柄には、土俵風景に加え、イノシシを担ぐ古代神話の勇者を刻む。

 イノシシを図案に写し取る西洋工芸も、牙や毛まで素材に使いこなし、芸術品に仕上げる日本工芸の粋には、あこがれるようだ。その代表格の一つが、石見根付(ねつけ)である。

 ◇ ◇

 根付は、印ろうを帯に留めるひもの先に飾る細工物。江戸時代に流行した。象牙製が目立つ中、島根県西部の石見地方ではイノシシの牙を使った。

 「江戸は遠く、舶来品の象牙は手に入れにくい。じゃあ、どうするか。身近なイノシシに自然と、目が行ったんでしょう」。石見根付の技をくむ江津市の彫刻家、田中俊〓さん(60)は先達の苦心に思いを巡らす。

 石見根付は江戸後期、現在の江津市で根付師清水巌(一七三三〜一八一一)が編み出した。湾曲した長さ十センチほどのイノシシの牙を彫り、クモやカニ、草花、時には和歌も刻んだ。清水一門は三代で途絶え、作品の多くが英国や香港、ハワイなど、海外の収集家の手元に渡っていった。

 田中さんは一九六七年から、「郷土の宝」石見根付の復活に取り組んできた。エナメル質の牙は硬い。国内の収集家に借りたわずかな作品が師匠。満足な出来ばえになるまで、十年かかった。

 地元のハンターから譲り受ける牙に最近、異変が起きている。「江戸時代のものに比べて、小さいんですよ」。駆除が進み、大物が減っているのだ。「昔は山で、気兼ねなく育ったんでしょうがね。人間も今ほど、乱暴をしなかったのかもしれません」

 ◇ ◇

 鯨と同様、イノシシも日本社会はタンパク源だけでなく、丸ごと使い切る工夫を凝らした。

 筆の里で知られる広島県熊野町では、筆の穂先にイノシシの毛も使う。「大地の恵みは、すべて原料ですからね」。筆の里振興事業団の藤森孝弘事務局長(48)は、事もなげに答える。

 百七十年、連綿と受け継がれた筆づくりの技は、枝毛が多く、硬いイノシシの毛を穂先に変える。イノシシ筆は、かすれや力強さに独特の書き味が出るという。

 四代目の筆職人で伝統工芸士の実森康宏さん(57)が、自宅の工房で筆を見せてくれた。「伝統工芸品は大量生産には向かない。イノシシ筆も、毛が手に入った時にだけ作る。自然との、ゆったりした付き合いの中から工芸品は生まれるんです」。自然と生きるとは、そういうことだと実森さんは思っている。

 【お断り】〓は「目」に「希」を書きますが、JISコードにないため表示できません。


中国新聞特集「猪変(第4部合縁奇縁 1天の恵み)」(2003.3.17)
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